第1話 コーヒーの香り

私、佐古田月連(るれん)三十四歳の一番新しい記憶は、コンビニエンスストアで購入したカップコーヒーの香り。コーヒーの香りから思い出される一番古い記憶は両親と行ったコーヒーショップ『wink』の店内の匂いだ。幼少の私はそこで食べる蜂蜜たっぷりのホットケーキがとても好きだった。

 

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その当時、両親はとても私に厳しく特に父は事あるごとに私に平手打ちをした。私は子供ながらに私が何か悪い事をしたのだろうと理解する努力を試みるも痛みを伴ったお説教と言うのは全く意味がない。何故なら痛みが恐怖を呼び起こし、頭や体を支配してしまうからだ。また、父は私に限らず母を良く怒鳴りつけたりもしたし、それでも気が済まないと家の中を叩きつけ窓ガラスを割った回数は一度や二度ではなかった。その度、父の手は自身の鮮血で真っ赤に染まり、より一層怖さを引き立たせていた。そうした経験から幼少の私には、父を怒らせてはならない人物像である事がきちんと脳内に刻み込まれた。

 

繰り返しそのような事があるので、すっかり私は委縮してしまい父の前では良い子を演じた。その最たる影響としては、体の体調が悪くてもその事を言い出せない様にまでなってしまったのだ。体調が悪くなると父は私を責めた。また、体調が悪い事を言わないでいる事も責めてますます父には何も言えない状況になってしまった。それが父なりの愛情表現だと気付くのはずっと後の事だった。

 

そんな事をぼんやり思い出しているとすっかりコーヒーは冷めてしまい、香は失せてしまったが随分と昔の事を思い出させてくれる人間の脳とは本当に便利だ。 いつでも様々な記憶から私に物語を見せてくれる。凡人である私の物語は多くの人にはつまらない物語であろう。何しろ私自身が伝えたい事が決まっていないのだ。

 

(続く)