第3話 さつまいも

私、佐古田月連(るれん)の食卓にはこの時期、大学芋が週に一回は必ず並ぶ。もちろん、母の得意料理の一つであり、私の好物のひとつでもある。

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さつまいもで思い出される一番古い記憶と言えば、幼稚園で母と行ったさつまいも掘りの遠足だ。私は当時、仲の良かった友人の「洋くん」親子と行動を共にしていた。

 

洋くんは私に出来た最初の友人で、家が近い事もあり中学卒業まで同じ学校に通っていた。洋くんは独特の世界観を持っていて、寡黙で近付き難い雰囲気を持っていた。しかし、その割に誰にでも親切で、きちんと気配りが出来る人物だった。そうかと言ってリーダーシップを取る等、目立つ事は嫌いだった。小学校などでクラス委員を決める時など、推薦で必ず洋くんの名前は挙がっていた。クラス委員が推薦でもなかなか決まらず、多数決で決める事になり、票が洋くんに集まっても最後に洋くん本人は断固として決定を拒否する。そんな頑固な一面も持っていた。そんな洋くんが私はとても好きだった。

 

幼少期、私は体が本当に弱くて病院の入退院を繰り返していた。幼稚園も母の記憶では三分の二も通っていなかったらしい。ただ入院の度に必ず病院にお見舞いに来てくれていたのが洋くんだった。

 

洋くんは良くおもちゃを持って来て私に貸してくれて一緒に遊んだ。入院生活に飽き飽きしていた私にはとても楽しい時間だった。そして洋くんが帰るとなるとさびしくて、私が駄々をこねておもちゃを返そうとしなかった。もちろん、おもちゃがほしい訳ではなかった。おもちゃを返さなければ、もっと洋くんと遊べると考えたのだ。

 

しかし、大人はそんな事が理解できる訳もなく、見かねた洋くんのお母さんが

「また明日も来るから、月連くんに貸してあげなさい」と言った。

そう言われてしまうと私にはそもそもおもちゃ自体には借りる理由はないので、渋々洋くんにおもちゃを返してまた明日遊ぶ約束をしてさよならをする。 

 

この出来事が思わぬ事態を引き起こした。数日後、話を聞いた母方の祖母が私におもちゃを大量に送ってくれた。 しばらくすると洋くんは病院には訪れなくなり、とうとう退院まで現れなかった。

 

それから、洋くんとは小学校、中学校とクラスも同じ事も何度もあったが、お互いそれぞれ新しい友達が出来て別々の高校に行く事になると中学校卒業後はいよいよ疎遠になってしまった。それから20年近く顔も見ていない。話も聞いた事がない。

 

彼は今どこで何をしているんだろう。この記憶の旅を続ける事であるいは。

 (続く)

第2話 この部屋で

私、佐古田月連(るれん)の一日は遅い。仕事は夜遅くから朝まで休みなく働く。仕事が終わり家につくと家族は既に目覚めており、忙しそうに朝の支度をしている。朝食を取り眠りにつくと夕方に目が覚める。起床後は本を読んだり、自身の体型維持にトレーニングをしたり、仕事までの数時間を楽しむ。

 

佐古田月連と言う「この男」は実につまらない人物で、趣味は読書、トレーニング。決してテレビは見ない。間食もしない。ただ、唯一、迫田月連にも楽しみはあり、それが「煙草」である。煙草とのお付き合いを計算すると、現在付き合いのある友人よりもその期間は長い。

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本を読んでいて一息ついたところで、煙草に火をつけるとぼんやりと思い出した。そう言えば、この部屋だった。

 

幼少期、私の父は煙草を良く吸っていた。銘柄は「マイルドセブンライト」だったと記憶している。そんな父は私が今いるこの部屋で私にいつものように平手打ちをした。その時の平手打ちは今でも鮮明に覚えているが、強く叩かれたようで吹き飛ばされた私は部屋に置かれていた棚に頭からぶつけた。

 

あまりの痛みに呼吸が困難なほどに泣きわめくと母が急いでやってきて私を抱き上げて、父をにらんだ。その時、父の放った言葉は

 

「加減している」だった。

 

この事が原因で私は酷く父を恨む事となる。

 

その夜、私は頭が割れるように痛く、酷い熱にうなされ、一晩中生死を彷徨ったようだった。病院に行き解熱剤を投与するも熱は下がらず、明け方ようやく眠りについた。目を覚ました時、瞳に涙を浮かべた母の笑顔が印象的だった。

 

二本目の煙草に火をつけ、酷く動揺している事に気付く。過去を旅する物語は今始まったと言える。

 

(続く)

第1話 コーヒーの香り

私、佐古田月連(るれん)三十四歳の一番新しい記憶は、コンビニエンスストアで購入したカップコーヒーの香り。コーヒーの香りから思い出される一番古い記憶は両親と行ったコーヒーショップ『wink』の店内の匂いだ。幼少の私はそこで食べる蜂蜜たっぷりのホットケーキがとても好きだった。

 

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その当時、両親はとても私に厳しく特に父は事あるごとに私に平手打ちをした。私は子供ながらに私が何か悪い事をしたのだろうと理解する努力を試みるも痛みを伴ったお説教と言うのは全く意味がない。何故なら痛みが恐怖を呼び起こし、頭や体を支配してしまうからだ。また、父は私に限らず母を良く怒鳴りつけたりもしたし、それでも気が済まないと家の中を叩きつけ窓ガラスを割った回数は一度や二度ではなかった。その度、父の手は自身の鮮血で真っ赤に染まり、より一層怖さを引き立たせていた。そうした経験から幼少の私には、父を怒らせてはならない人物像である事がきちんと脳内に刻み込まれた。

 

繰り返しそのような事があるので、すっかり私は委縮してしまい父の前では良い子を演じた。その最たる影響としては、体の体調が悪くてもその事を言い出せない様にまでなってしまったのだ。体調が悪くなると父は私を責めた。また、体調が悪い事を言わないでいる事も責めてますます父には何も言えない状況になってしまった。それが父なりの愛情表現だと気付くのはずっと後の事だった。

 

そんな事をぼんやり思い出しているとすっかりコーヒーは冷めてしまい、香は失せてしまったが随分と昔の事を思い出させてくれる人間の脳とは本当に便利だ。 いつでも様々な記憶から私に物語を見せてくれる。凡人である私の物語は多くの人にはつまらない物語であろう。何しろ私自身が伝えたい事が決まっていないのだ。

 

(続く)